Wednesday, December 13, 2017

映劇 映画日記 その2 サーミの血



 言われなき差別は今でも存在する。かつてはこれに「科学的説明」「生物学的証拠」という厄介な言説が絡みついていた。ダーウィンの「進化論」浸透以来、人相学や骨相学などさまざまな「言説」は跳梁跋扈し、ある種の人びとを蹂躙した(少なくともこれは60年代まで続いた)。ある種の人びととは大概の場合、少数派をさす。『サーミの血』はそうした時代、1930年代のスウェーデンの話である。
 ラップランドに暮らす先住民族サーミの少女、エレ・マリャ。誇り高い彼女は屈辱に耐え、差別に抗う。マジョリティ(スウェーデン人)と対等な学び、暮らしを目指す彼女は、ルーツを捨て、強制された民族服を脱ぐ。女教師の服を身に纏った時、偶然、スウェーデン人の若者たちに声をかけられ、「クリスティーナ」と名乗る。パーティに出かけ、マジョリティの暮らしの一端を経験する。女教師に「あなたたちの脳は文明に適さない。ここにいないと滅んでしまう」と進学のための推薦書を拒否された彼女は、パーティで出会った青年ニクラスを頼りに一人都会に出てゆく……。
 映画は「額物語」になっていて、オープニングとエンディングでは「クリスティーナ」の帰郷が描かれる。家族との別離以来初めて、妹の葬儀のために故郷を訪れた彼女の傍には息子と孫娘がいる。伝統のサーミの衣装を着せられた孫娘は、何の抵抗もなくその美しさを喜び、息子はサーミ人の叔母との「最後のお別れ」をするように母を説得する。最後の最後まで「クリスティーナ」は参列を拒否する。
 メインの物語(1930年代)と冒頭、末尾のシーン(映画的「現在」)には、おそらく50年以上(もしかしたら60年近い)「空白」がある。観光客のサーミ人に対する悪口に同調して、自ら「教師をしていた」という彼女の「50年」がどのようなものであったのか。「空白」は観客に委ねられている。




おまけ)エレ・マリャがニクラスの誕生日に歌った「ヨイク」。悪意のない好奇心によって一層彼女が傷ついた伝統の音楽は、無邪気にも『アナと雪の女王』(2013)のオープニングに使用されている。女性の自立と解放の物語。うむ、色々考えさせられる。


『サーミの血』スウェーデン・デンマーク・ノルウェー合作
(2017、UPLINK)108分

監督:アマンダ・ケンネル 
製作:ラーシュ・G・リンドストロム
製作総指揮:ヘンリック・セイン/レーナ・ハウゴード
脚本:アマンダ・ケンネル

出演:
レーネ・セシリア・スパルロク(エレ・マリャ)
ミーア・エリカ・スパルロク(ニェンナ)
マイ=ドリス・リンピ(クリスティーナ/エレ・マリャ)
ユリウス・フレイシャンデル(ニクラス)
ハンナ・アルストロム(女教師)

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