ゴールドストーン夫妻の『古本と稀覯書』(1997年:邦訳『古書店めぐりは夫婦で』 早川書店、1999年)を読んでいて、意外なエピソードがあったので、メモがわりにアップ。
ゴールドストーンによれば、クリスマス・カードのやり取りが盛んになったきっかけはディケンズの『クリスマス・キャロル』がきっかけらしい。
アメリカ旅行の翌年、新作『マーティン・チャズルウィット』の不評と親戚のための借財などで、破産寸前にまで追いつめられたディケンズは、起死回生の策として「金儲け」のための小品を6週間で仕上げて、世に送ることにする。執筆期間が短いために、当然のことながら短編で。普段通りのトリブルデッカー(3分冊)ではなく、1冊本として。それが、1843年の冬に出版された『クリスマス・キャロル』だった。
経済的に追いつめられて、おまけに新作は不評……とはいえ、そこは当代きっての売れっ子、ディケンズ。「売る」ために、物語の内容だけでなく、装丁にも気を配った。「赤い表紙、緑の見返し、八枚の挿絵(うち四枚が当時としては画期的な多色刷り)」で「クリスマスの精神」を具体的に読者に示した。19世紀の出版物としてはかなり贅沢なつくり。平凡な著者の申し出だったら出版社に拒否されたに違いないが、ディケンズの「顔」でこれが実現する。
【当時の売値は5シリング、日本円で約2000円。で、現在の古書価は500万円くらい?】
【当時の売値は5シリング、日本円で約2000円。で、現在の古書価は500万円くらい?】
で、この窮余の一策は作家の思惑以上に大成功を収め、さらなる名声と富とをディケンズにもたらした。『クリスマス・キャロル』の初版6000部は、数週間で売り切れて、その語は増刷、また増刷。お金と一緒に、読者からの讃辞も、いつにもまして彼のもとに飛び込んで来た。
ローレンス&ナンシー・ゴールドストーン夫妻によれば「この物語は、イギリス人のクリスマスに対する見かたと祝いかたを根本から変えてしまった」らしい。「それまではたった一日の静かな祝日であったものが、祝宴と贈り物、歌とゲームをたのしむ行事になった」「以前はたいして人気のなかったクリスマス・カードが、とつぜんこの祝日のつきものになった。まるでそれはクリスマスをどのように喜び、祝うべきかを、チャールズ・ディケンズが人びとに教えたようなものだっった」。ディケンズ自身にそんな気は毛頭なかったのだろうけれど、結果として。
という訳で、クリスマス・カードのやりとりが実は19世紀の産物だと分かったところで、じゃあ年賀状はどうなんだろう? と気になって、ググってみた。と、あっさり「年賀状博物館」というサイトに出会って、あっさり謎が解けた(?)。
日本で「年賀の書状」が取り交わされるのは、7世紀後半以降のことだと思われます。では、「日本で最初の年賀状」はいつ誰によって出されたのかといえば、残念ながら史料は残っておらず、正確なことはわかりません。
しかし、平安後期に藤原明衡によってまとめられた往来物(おうらいもの・手紙文例集)「雲州消息」には、年始の挨拶を含む文例が数編収められており、この頃には、少なくとも貴族階級の中には、離れた所にいる人への「年賀の書状」が広まっていたと考えられます。
ちなみに現在の「年賀状」が始まったのは、明治20年(1887年)くらいかららしい。
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